「ウサギ聞いてるか?」 「聞いてる聞いてる。弟の運動会の話だろ?」 秋彦の返事に、孝浩は満足げにそうなんだよ!と話を再開した。 弟の話をしている時の孝浩は、いつも生き生きしていた。 だからどんな時でも、孝浩が話をしたそうな時は俺から「最近弟はどうだ?」 と話をふってやる。 両親を亡くした孝浩は、行きたかった大学を諦め生活のため、就職した。 苦労しているはずなのに、弱音ひとつ吐かずいつも笑顔を絶やさない。 心配をかけまいと元気なふりをしている。 健気でどこまでも真っ直ぐな男なのだ。 秋彦はそんな孝浩の内面を、きちんと理解していたのだ。 自分が心配してあれこれと言えば言うほど、孝浩に負担をかけてしまうと 知っていた。 だから彼が寄りかかってくれる時を、ずっと待っていた。 俺は、いつだってお前の味方だよ。 「?ウサギ?」 「お前は・・・・偉いよ」 突然の親友の言葉に、孝浩は思わず口元に運んでいた紅茶を吹いた。 「どっどうしたんだよ急に・・・・・!」 思ったままを伝えたまでだと言うと、孝浩は恥ずかしを誤魔化すように 布巾で汚れたソーサーを拭く。 「まったく、ウサギは相変わらずだな・・・・・っ」 「お前も会った時から変わらない」 恋に落ちたあの頃から孝浩も、自分の想いも、変わらない。 そして、二人の仲も、変わらなかった。 傍にいれれば良い、例え情が増しても自分の首を締めてでも孝浩を守って みせる。 大切な存在を失うぐらいなら、 秋彦は喜んで自らの命を差し出すだろう。 「そうだ!お前に報告があるんだ!!」 ぱぁと明るい笑顔に、秋彦もつられてにこりと笑った。 「俺、彼女ができたんだ」 心臓が、 「え・・・・・・・・?」 心臓が、止まった気がした。 「お前に一番に報告したくてさ」 冷たい、氷のような手で、心臓を握られたように。 心臓が動くことを拒んだ。 そんな風に笑うな。 誰かを想って笑うお前の顔なんて見たくない。 その笑顔は、俺だけのものだったはずなのに。 根拠はなかった。 けれど信じていた。 結局、最後に頼ってくれるのは俺だと。 「そうか・・・・」 「うん!」 「良かったじゃないか!」 「ありがとう!!」 大丈夫。 「ウサギにそう言って貰えて、本当に嬉しいよ」 大丈夫、俺は、笑ってる。 「幸せになれよ、今までの苦労分以上に」 笑ってる。 笑えてる。 笑え。 「ウサギこそ、今良い人、いないのか?お前昔からモテたのに。 それとも親友の俺には、言えないのか?」 「まさか」 お前だよ。 「できたら真っ先に、お前に伝えてるさ」 お前なんだよ、孝浩。 「嬉しいよ。 まぁお前は見た目良いから、色々な人が寄ってくるだろうけどさ。 そういう人達って、損だよな。 だってお前は見た目以上に、中身がカッコいいのに」 あぁ・・・・ 「はっはは」 心臓が、こんな時ばかり動き出す。 喧しく、俺の動揺と同時に脈打つ。 やめてくれ、孝浩に聞こえたらどうするんだ。 恋人の座は奪われ、 親友の座すらも、失う気なのか。 「お前だけだよ、そんなこと言ってくれるのは」 「何言ってんだよ、俺達、親友だろ」 「・・・・・・」 首が、重い。 鉛の如く、親友を好きになったの罪の如く。 俺の両肩に圧し掛かる。 本当は・・・・首を振りたかったんだ。 「そうだな」 孝浩、 お前が初めて俺を親友と呼んだ時は心の底から、嬉しかったよ。 お前は俺の中身が良いと言ってくれた。 顔には出さなかったけれど、お前への気持ちが溢れて、もっと お前を好きになった。 例えお前が良いと言ってくれた中身の、そのずっと奥に隠した 気持ちに気付いてくれなくても、俺は・・・・お前が・・・・。 「ウサギさん来て!!」 寒空の下、涙を必死に堪える背中を眺めながら、俺は美咲に連 れてこられた。 マンションを過ぎ、人気の少ない道端で、美咲は抑えこんでい た大粒の涙を流した。 ぽろぽろなんてもんじゃない、ぼろぼろのぐちゃぐちゃ。 涙なのか鼻水なのか分からない水びだしの顔。 俺は不思議と、とても静かな気持ちで眺めていた。 先程孝浩の発言をまだ完全に飲み込めず、心が麻痺したせいか もしれない。 『あんなに大切にしてきたのに!!』 ・・・なんでお前が泣くんだ。 『アンタのせいだ! アンタのせいで俺っ 生まれて初めて、兄ちゃんを殴りたいと思った・・・っ 大好きな兄ちゃんが・・・今は凄く・・・・ムカつく!!!』 わーわーとわめき散らして、まるで洪水のような奴だ。 今までこんなに激しい泣き方をする奴を、見たことがない。 俺の気持ちがせつなくて、大好きな兄を許せないと言う。 だがそんな自分がもっと許せないと泣く。 そんな奴を、 可愛くないと思えるはずがないではないか。 宥めるように頭を撫でる。泣いているせいで頭まで熱い。 泣くな。 目元が赤くなるじゃないか。 腕を拘束して、半ば強引に唇を重ねた。 柔らかな感触と涙の味がした。 口内は思っていたより熱くて、反応の鈍さがコイツの経験 の浅さを物語る。 だが、とても、心地良い。 心を縛っていた氷の茨が、溶けていくようだった。 「美咲・・・・」 お前を好きになってからの毎日は、とても、穏やかで。 お前はいつも、俺の予想を越えていく。 だから、目を離せばどこかへ行ってしまう気がして。 『ウサギさん』 お前の笑顔を、もっと見たいよ。 「みさ・・・・き・・・・」 頼む、もっと俺に振り回されて。 「いい加減にしやがれ馬鹿ウサギぃぃぃぃ!!!!」 ゴチン!と言う音共に、鈍い痛みが頭に走る。 寝る前に抱いたはずの鈴木さんが、いつの間にか見慣れた 同居人に変わっていた。 手を離すと、美咲は肩を弾ませながら、こちらをびしっと 指差してくる。 「うなされてるから心配して起こしてやったのに、狸寝入り ならぬ兎寝入りしやがって!」 「・・・・・・語呂が悪いな」 「そう言う事をいってんじゃねぇぇぇぇ!!!!!!!」 うごー!うがー!!と暴れ、手当たり次第にクッションを 投げつけてくる美咲。 まるで子供向け怪獣アニメを見ているようだ。 美咲のような子供体系の中に、一体どれほどの無駄な体力 が詰まっているのだろう、いや、子供体系だからこそなのか もしれない。 手近なクッションを全て投げてしまった美咲の動きが、よ うやく停止する。流石に疲れたらしく、はぁはぁと息切れし ている。 「ったく! うなされて、苦しそうだから手ぇ握ってやったのにさ。 ウサギさんの馬鹿!」 「野分・・・・寒い・・・・」 「はい」 望めば与えてくれる人。 秋彦が好きだった頃の想いが、無駄だったとは思わない。 だが今こいつと過ごす時間は何ものにも変えられない。 「ヒロさん・・・?」 お手軽とか、淋しいからとかじゃない。 お前で良いんじゃない、お前が良いんだよ。 「野分・・・・・」 見つめただけなのに。 俺の心を見透かしたように、待ち望んだ唇が重なる。 野分の長い腕が俺の体にぬくもりを移す。 温かい、熱い、お前の体が心地良い。 背中に腕を回す。 もっと、もっと俺を好きになってくれ。 「何すんだ忍!!」 「うっせぇ!!! 俺が来た時ぐらい、本しまえ!気が利かねぇ男だな!!」 夕食を終え、満腹感に満たされ、平和なひとときだったのに・・・。 宮城は心の中で時間が戻らないかと思っていた。 つい先程、淹れたての緑茶の香りと共に本を読んでいると、 突然、忍が本を取り上げてきたのだ。 どうやら、宮城は完全にリラックスモードになっていたらしい。 忍と付き合い始めてから数ヶ月、自分の安心出来る場所に、 他人を入れることが少ないため、気が抜けてしまったのだろう。 だからと言って、恋人より本を優先した自分は悪いと、宮 城は素直に己の罪を認めた。 認める、完全に俺が悪かった。 可愛い可愛いお前の存在を忘れる俺の頭は蛆が沸いている! だから・・・だから・・・・ 俺の本にお茶をかけようとするな!!!! 「忍ちん、俺が悪かった、謝るから・・・・な?な?」 「・・・・・・・・・・・・」 「あー知ってるかな忍ちん? その本は俺の給料の半分はする、 とぉてもとぉても貴重かつ高価なわけで・・・・。 諭吉さんが何枚俺の元を去ってしまったか・・・・・・」 「なんだ・・・数枚程度か。なら安もんなんじゃん」 ボンボンめ!!!!! 「あーいやいや忍・・・。 金の問題じゃないんだ・・・。 本当に悪かったと思ってる。この通りだ・・・」 「・・・・・それは・・・・。 本が汚れるから・・・・・・謝ってるのかよ?」 あぁ・・・コイツ・・・・っ 思いっきり、あるだけの力で宮城は忍に抱きつく。 忍は宮城の本を大切そうに胸にしまい、湯飲みから遠ざけた。 本が汚れたらどうする!と忍は怒った。 「何すんだよ!!いきなりっ危ねぇだろ!」 「違う。 違うよ。 お前を傷つけたから・・・謝ってんだ」 「!」 ごめん。 ごめん、忍・・・。 「本より、俺より、お前が大事だよ」 「な!?」 この人は運命の人。 あんなに悔しくて泣いたのは、生まれて初めてで。 大切だったプライドはずたずただった。 何回も、何十回も、諦めようとした。 けれど・・・・出来なかった。 「・・・・・・うん・・・・」 『他の誰でもない・・・っ アンタが良いのに・・・!』 「俺も・・・・・・アンタが良い・・・っ」 |