まだ折り目もついていない本を太腿で押さえ、手は二本の棒で手いっぱいだった。 ふわふわした糸を紡いでいるはずなのに、できていくのは『歪な何か』。 これ・・・なんだろう・・・。 頭の中のイメージと現実の差違は大き過ぎて。 本人すら、戸惑ってしまうほど。 開いている、作り方のページは『マフラー』なのに・・・・・・。 忍は己の不器用さを心の底から呪っていた。 テレビではクリスマスを題材にしたCMを始め、サンタに扮装した番組の司会者、 雪を思わせるケーキを頬張る審査員など、世の中はすっかりクリスマス一色。 クリスマスは恋人達のイベントと言っても、過言ではない気がする。 しかし、受験を控えた学生達にそんなもの関係ない。 同世代の学生達はみな、来年のセンター試験に向け、努力を惜しまないでいた。 にもかかわらず、忍だけは勉強とはまったく異なるものに集中していた。 一番大好きなひとがいる、最初のクリスマス。 忍にとっては、初めての経験だった。 だから少しでも恋人に喜んで欲しくて、精一杯の努力をマフラーに込めている はずなのに、眼前にあるのは曲がったり縮んだりして。 どう見ても、マフラーとは呼べない代物だった。 ここまで結果が表に出ないのは洗濯、掃除、料理を抜かせば初めてだった。 間違った編み目を発見し解いていくつもりが、いつの間にか指に絡んでいて。 指に絡みついた毛糸を取ろうとすると、今度は左手までぐちゃぐちゃに絡んでしまう。 「ウザぁぁい!!」 ついに、ひっかき棒と両手は毛糸によって一体化してしまった。 「何やってんの」 リビングに入ってくるなり、姉の理沙子は呆れた声を出した。 きちんと向き合って会話するのは久しぶりだった。 「パンツ丸見えだけど?」 部屋着にも着替えず編み物をしていたので、忍は制服のままだった。 編み物をするには、制服のスカート丈では短過ぎたのだろう。 忍は「見なきゃいいでしょ」と、折りたたんでいる足の間を狭めた。 「なにこれ」 理沙子は足下にあった本を取り上げると、ソファに座る。 「・・・『ふわふわマフラーの作り方』・・・ねー」 「・・・なんか文句ある?」 「・・・料理雑誌とかによく書いてあるじゃない。 『この写真はあくまでイメージです』って。」 姉の意図か分からず、思わず「は?」と言ってしまう忍。 「しにても、ここまで写真と実物が違うんじゃ、ボッタクリも良いところよね。 抗議してきたら?」 「どう言う意味よ!」 遠回しの嫌味に、髪が逆立っているんじゃないかと思うほどの怒りを覚える。 しかし、姉を睨みつけてもまったく通用しない。 昔からそうだった。 忍がどんなに怒ろうと、喚こうと、姉は自分のペースを崩さない。 その余裕が、忍の炎に余計な油をさすのだった。 「ふーん・・・。これぐらいなら私でも作れるわ」 「マジ?!教えて!」 何度読んでも、うまくいかない。 理解出来なかった場合、人に尋ね解説を教わるのは有効的な手段だ。 相手は誰であれ、教えてもらえるなら誰だって良い。 「教えてって・・・アンタ、センター近いんじゃないの?」 「は?私が勉強を疎かにするはずないでしょ。 それより今はこれをちゃんとマスターしたいのっ クリスマスまでには間に合わせたいし・・・っ」 「・・・・・・・・・・・・」 理沙子はしばらく忍の顔を見つめた後、「いや」とはっきり告げた。 面倒臭がり屋の姉のことだ。 頼みを聞き入れてくれないことなど予想出来ていた。 「じゃいいや」と忍は早々に諦め、雑誌の返還を要求した。 すると姉の瞳が鋭く光る。 「アンタ、彼氏できたんでしょ」 しまった・・・と忍は言葉を飲む。 姉は勘が良い。 すべてを見透かしたような瞳で忍を見つめる。 「・・・・・・別に」 「ほら、目そらした」 なんで宮城と同じこと言うのよ・・・! それより雑誌がなくては作れないので、早く返して欲しい。 「まっアンタが誰と付き合おうと関係ないけど、立場はわきまえなさいよ」 「別に・・・お姉に関係ないじゃんっ」 「バカ。心配してやってんのよ」 いつもなら「そうよね」と相手にもされないのに、今日の姉は珍しく諭す ように忍を見つめていた。 黒く長い睫と自分と同じグレーの瞳がじっとこちらを睨む。 「アンタは未成年、しかも大学受験がかかったこの時期、やることはひとつしかない。 なのに、『それ』はなんなの?」 あまりの言いように忍も黙ってはいない。 「どういう・・・意味?」 「そんなことに現を抜かしてる場合じゃないって言ってるのよっ」 そんなこと・・・。 そんなことって・・・何? 姉の一言で、簡単に、片づけられるようなくだらないことを、していた覚えはない。 宮城は忙しくて。 会えない日なんてざらで。 でも「会いたい」なんて言えない。 我が儘を、子供っぽいことを言って、迷惑になることは絶対したくない。 だから手軽に渡せるものを作ろうと思った。 「お姉に・・・っ お姉に・・・私の何が、分かるって言うの?」 少しでも良い、私のことを思い出してくれて。 お仕事を頑張ってと言う想いを込めたらきっと、このマフラーが届けてくれると思った。 「だからアンタは」 それを『こんなこと』だなんて・・・・・・。 誰にも、そんなこと、言える権利はないっ 「子供なのよ」 「!」 頭に血が上っていく。 なのに想いは拳に集中して。 気付けばカッターシャツの白い胸倉を掴んでいた。 逃げていた、わけじゃない。 けれど淋しさは静かに 雪みたいに 募っていった。 街ですれ違う恋人達は、クリスマスの計画を話していて。 ショーウインドーに映る、ひとりぼっちの自分に、落胆した。 少しだけで良い、 ちょっとだけ、 クリスマスの幸せを、御裾分けして貰っても良いじゃない・・・。 「私だって・・・ 好きな人と一緒に、いたい・・・っ」 幸せな背中を目で追いかけても、惨めなだけ。 なのに、つい追いかけてしまって。 「でも分かってる、私とあのひとは全然違う世界を生きてるって」 あの二人は対等な存在だからこそ、 一緒にいられるんだろうと思うと羨ましくて・・・。 羨ましくて、自分が情けなかった。 「・・・淋し・・・いっ」 立場も、やるべきことも分かっていたつもりだったのに。 胸を締めつけるわだかまり。 キスだって、セックスだってしていた時期があって。 なのに、 私は、 12月の風の中に立っていた。 「馬鹿ね・・・」 うなだれる私の頭を軽く抱く姉の声が、妙に優しく聞こえた。 「私が言いたいのは、一時的な感情で相手を見るんじゃなくて、 もっと広い視野で考えなさいってこと。 こんな時期にマフラー渡してみなさい、『大事な時期に何してるんだ』って 怒られて、喧嘩になるのがオチよ。 だったら今年は我慢して受験に耐えて、来年合格して目一杯甘えなさい。 放ったらかしにした埋め合わせをさせて。 それぐらいの根性、アンタにはあるはずだからっ ・・・分かった!?」 姉の勢いに、言葉を失っていると「返事は?」と叱られてしまった。 すっかり姉のペースに巻き込まれて。 忍は素直に頷くしかなかった。 「アンタは・・・ちゃんとそう言うこと、言えるの・・・ね」 一瞬見せた瞳に陰る悲しげな色。 まるで、覗いて初めて知る宝石の奥底の色のような瞳。 姉の弱さの一面を、忍は初めて垣間見た気がした。 「どういうこと?」と訊いている途中、突如姉のケータイが鳴る。 ケータイを開くと電話だったらしく、「じゃ」っと本を手渡される。 戸惑う暇もなく、姉は自分の部屋に向かいながら、通話を始めてしまった。 結局、姉の最後の謎は解けぬままだった。 素直に言うと「素直なアンタなんて気持ち悪い」と言われてしまいそうだけど・・・。 「ありがとう・・・お姉ちゃん」 普段はだらしなくて、 腹が立つことの多い姉だけれど、 あの人が自分の姉で良かったと、心から尊敬した。 忍は部屋に戻ると心に誓う。 電話もしない。 メールもしない。 もう自分に、負けない。 狙うなら何でも一番、T大法学部なんてどうだろう。 文学は宮城に習って、一番難易度の高い所に入れば誰にも文句は言えまい。 それで、宮城のマンションの隣に引越しして・・・。 宮城、きっと色々驚く。 私はいつか見れるであろう、目を点にさせた間抜けな恋人の顔。 そんなことを想像しながら、 ざまぁみろと、忍はシャーペンの芯を出すのだった。 |