宮城と体を重ねるようになって、気付くことがあった。



  ひとつ、セックスが終わった後、人の前髪をひと撫でして額にキスする。
 まるで眼前の存在を現実か確かめるように。
 
 ふたつ、煙草を吸う。
 行為の休憩、区切りのようなものだ。
 
 みっつ、穏やかに眠ろうという雰囲気になると、
 ひとつ目の時同様、指の腹で人の頬をかたどるように撫でるのだ。


「それ・・・癖?」
「え?」
「ヤった後、人にベタベタするの」


  予想外の言葉に宮城はぽかんと口を開け、煙草を落としそうになる。
 慌てて煙草を咥えなおす。
 宮城には自覚が全くなかったのか、うーんとしばらく考え込んだ。
 そして気恥ずかしそうに頭を掻くと、「いやその・・・」と言葉を濁しながらも、
忍の質問に答える。


「無意識だ。・・・嫌か?」
「アンタだったら・・・嫌じゃない」


  基本的に人に触られるのは好きではなかった。
 撫でられるなど、もってのほか。
 馬鹿にされて見下されてる気がするのだ。
 だが宮城の指だと思うと、何故か苦ではない。
 むしろ、すり寄ってしまうほど心地良いと思うこともある。


「お前・・・」
「なっなんだよ・・・ッ
 ハズいから・・・そんな風に見んな!」


  本心とはいえ、恥ずかしい発言をしてしまった忍は枕に顔を埋め、視線から逃れる。
 言った本人も恥ずかしいのだから、言われた本人はもっと恥ずかしくて。
  だが決して、不快ではない。
 真っ直ぐで純粋な恋人の言葉がくすぐったいくらいだ。
 嬉しくて、宮城は忍の頭を撫でながら笑った。


「ありがとう」


  忍は照れ隠しに「・・・ほら、また」と指摘した。


「また触ってる」
「あ」


  宮城は手をひっこめ、やっと自覚した。


「なんだ・・・うん」


  笑顔で場を乗り切ろうとする宮城だったが、取り繕えば繕うほど
互いの恥ずかしさで空気が重くなる。
  言わなければ良かったと、忍は少し後悔した。
  忍だって、されて嫌な癖であればもっと早く伝えいた。

 それをしなかったのは恋人としての喜びと、少しの・・・不安。

 今までだったら、宮城の触る癖は自分を求めてくれる証拠だと、
優しい気持ちになれていた。
  けれど、恥ずかしい思いまでして癖の事を告げたのは、今夜こ
そこの不安を解消をしようと思ったのだ。
 不信感を抱いたまま、彼に抱かれるのは不公平、だと思ったから。
 一途な宮城に、失礼だと思ったからだ。
 


「変なこと、訊いて良い・・・?」
「ん?なんだ?」


 迷いながらも、意を決した忍の瞳に強気の光が宿る。


「なんで・・・なんで、俺に触る時、悲しそうにするの?」


  撫でる手は、存在を確かめるためではなく、
 いつも【なくしたもの】を探しているようだった。


「俺は、アンタが好き・・・だッ」


 本当は、セックスをした後に頭を撫でられると、胸の奥がちくりと痛んでいた。


 そして誰かが囁く。


  宮城は失したモノを探してる。
 それは決して、
 お前が持っているものではない、と。

 そしてそれを、
 いつも否定出来ない自分がいる。


「ずっと・・・
 怖くて、
 怖くて・・・。
 訊けなかった・・・こと、あるんだけど」


 【失くしたモノ】って、俺じゃ埋められない?


 そう訊く勇気もなくて。


「宮城は・・・優しいから・・・っ
 色々我慢させてるんじゃないか・・・って・・・っ」


 溢れる涙は悔しいから。
 悲しみからじゃない。
 せつなさからじゃない。
 愛して欲しいからじゃない。


 許容範囲を越えた想いが、瞳から雫となって頬をつたっていく。
 ごしごしと腕で擦っても、次から次へと流れていって、止められない。
 「泣くな」と大きな手が赤く染まり始めた頬を優しく撫でてた。


 手を払い、精一杯の強がりで睨む。
 

「泣いてない・・・!」


 同情なんて、真っ平だ。


  どうしたらアンタのモノになれる?
  俺だったら、もう二度とアンタを孤独にしない。
 ずっとずっと、傍に居れる自信がある。
 この恋は一生褪めることはない。
 そう断言出来るほど、アンタが好きなんだ。


「泣くなよ・・・・」


 ため息混じりの声に忍は傷つく。
 弱い人間だと、彼に呆れられてしまったのかもしれない。
 しかしそれはせつなさから漏れた声だったと、彼に抱きしめられてから気付いた。


「つられそうに、なるだろうが・・・ッ」


  突然、背中を引き寄せられて。
 ぎゅっと抱きこめられて。
 自分より広くて頼り甲斐のある肩が、震えていた。


「みや・・・ぎ・・・」


 アンタのモノになりたいと言いたい、
 先生のことがまだ好きなんだろ?とは言いたくない。

 伝わって欲しい慈しみの想い、
 伝わって欲しくない小さな自分。

 
 様々な想いが交差して、泣きじゃくる存在の全てを、宮城は力いっぱいに抱き締めた。 
  掻き抱くような必死さが、忍の心に痛いくらいにひしひしと伝わって。
 いっそ背中に腕の痕が残ればいいと思った。
 そしたらきっと、アンタのモノになれたと喜べるのに。

 不思議なのは、
 誰かに触れることさえ嫌だというのに、
 宮城になら傷付けて欲しいとさえ思ってしまう、自分がいること。


「忍・・・」


  また悲しそうな顔をしているな。忍はそう感じた。
 切なさが胸から溢れ、再び涙が両方の瞳からこぼれていくのが分かった。

  二人の間に、距離を置かれる。
 離れていく喪失感は一瞬で、何を思ったのか、宮城は忍の両頬を掴み引っ張った。


「バーカっ
 何言ってんだクソガキが!!」


 状況が理解出来ず、忍は思わず涙を目に溜めたまま固まる。
  しばらくの間の後、忍は様々な感情の反応の中から怒りを選択した。


「あぁ!?」


 頬を引っ張られているせいでうまく言葉が紡げない。
 だが、宮城には忍の怒りや困惑は十分に伝わっていた。


「お前が何を考えてんか知らが、
 俺はお前を縛る気つもりはないし、
 これからも、そんな気持ちになるつもりはない!
 何が楽しくて、恋人の自由を奪わにゃならんのだッ」


  うーうーと唸るだけで抵抗を示さず、忍は宮城の言葉を大人しく聞いていた。
 想いの方向性が変わったことに安心した宮城が頬を解放してやる。
 少しは冷静になれたのだろうか。
 この年下の恋人は、時にとんでもない方向に暴走するのを、過去の実体験
から把握済みだ。


「撫でるのはその・・無理させたんじゃねぇーかとか、急に触りたくなったとか。
 そんなくだらん理由だ・・・深読みすんなっ」


 未だすっきりしないとふくっれ面な忍の頭を、宮城は優しく撫でた。
 その横顔を見るや否や、忍は心が揺らぐ。


「それに、俺はお前がいてくれるだけで良い」


 以前にも聞いたことある台詞に、思わずぞくりと寒気を覚えた。
 空港に迎えにきて、付き合い始めて少し経ったある夜に聞いた言葉。
 キス以上のことをしてこない宮城に、忍は不安を感じていた時のことだ。


 『いい加減な気持ちで、こういう事をしてるわけじゃない。
 お前が、いてくれるだけで良い』


 あの時の淋しげな横顔は、思い出しただけでも再び胸を締めつけらた。
 けれど、宮城の言葉は続いた。


「前にも言ったが・・・何度も言わなくても分かれ、一番はお前だッ
 俺はただ、お前を縛りたくなかったんだよッ
 先生のことで・・・正直、自分より他人の死が怖くなった・・・。
 特に大切な人に対しては・・・」


 三十路の男が・・・何言ってんだ・・・っ
 弁解して・・・言い訳して・・・っ
 ・・・クソッ・・・格好悪りぃ。


 すっかり忘れていた熱情に、頭は重くなるばかり。
 恋人だから、忍だから、ここまで自分を犠牲してもかまわないと思う
自分は相当この男にハマっているらしい。



「だから、勘違いすんな・・・っ」


 なんでこんなに、自分は必死なのだろう。
 あぁ・・・きっと・・・分かって欲しいんだ。
 言い訳して、下心でも良いから、忍に自分を認めて欲しいのだ。
 小憎らしくて、愛しくて仕方がない、この男に・・・。
 

「俺はもう二度と、自分勝手に誰かに色々なものを強制したくないだけだッ
 好きな人なら尚更、その人らしく、自由に生きて欲しい。
 時々で良い・・・こんな俺でも、少しの間でも長く傍にいてくれれば
 俺は・・・・幸せなんだよ・・・・」


 忍は動けずにいた。
 流れていく宮城の言葉を拾い上げ、ひとつひとつ丁寧に扱おうとしても、
せつなさと嬉しさで、なかなかうまくいかなかった。
 宮城は自分より遙かに年上で、つらい過去をひとりで乗り切ってきた強いひとで。
 人に寄り添うことも、愛されることも拒み続けてきた。
 ただじっと耐えて、耐えて。
 かつての恋人ひとりを愛し続けた優しいひと。
 そんなひとの心を思うと、また胸が痛みせつなくなる。


 うまく、言葉が見つからない。


 文章を書くのは不得意ではないなのに、どうすれば一番自分の気持ちを
素直に伝えられるかなんてことは、学校も教科書も教えてくれなかった。
 彼への温かい想いがこんな体では足りず、溢れていく。
 まるで朝日のまどろみの中にいるみたいだ。
 こんな時は、どうすれば良いのか分からない。

 黙ってしまった忍を気にしてか、宮城が顔を上げる。
 見えた恋人の顔はいつにもなく覇気がない。
 眉を下げり、いつもの仏頂面はどこへやら、うまい言葉が見つからず
慌てふためく子供のようだった。
 なかなか見れない忍の困惑気味の顔を見て、宮城はぷ・・・!と噴出す。
 それを不満げに「なんだよ!」と怒る忍を置いて、宮城は本当におか
しそうに腹を抱えて笑った。
 そして散々笑った後、額と額を重ねてこう言った。


「好きだよ」


 低く、響きのある声に体が疼く。
 先程まで人をからかっていた人間が何を言う。
 それを分かっていても、胸がせつなくなるのだから、納得がいかない。
 忍の胸の中に、湯を注がれるように温かく柔らかい気持ちが広がっていった。
 徐々に近付いてくる宮城の顔をずっと見ていたくて、忍は目を瞑らないでいた。
 すると眼前の唇が方向転換し、鼻にキスを落とされた。


「こういう時は、黙って目瞑るもんだぞ」
「う・・・ん・・・」


 恥ずかしさを飲み込み、忍は素直に目を瞑る。
 宮城の唇が重なる寸前、忍の薄い唇が微かに動く。


「俺は・・・ずっと・・・いるから」


 かつて最愛のひとを恋という鎖で縛った幼なかった自分に、忍の言葉が
重く圧し掛かる。

 忍の純粋な気持ちを利用して、自分の隣に彼を縛り付けている気がした。

 愛してくれたのは忍の方だったが、正直、自分の愛し方に自信がない。
 今は良くとも、いつか、疲れさせて、自分を嫌いになる日がくるんじゃないか。
 「こんなはずじゃなかった」と言われるのが、怖かった。
 そう思うからこそ、忍を縛りたくなかった。
 忍には自由でいて欲しい。


 誰より、
 何より、
 大切だから。


 指を絡め、唇が重なる。
 触れて、離れて、また触れて。
 花が散るように、どちらともなくキスをした。


 優しいキスの時間が終わると、宮城は少し顔を背けて言った。
 

「そこで・・・笑って・・・いてくれ」


 忍よりも一回りも大きくて、憧れの背中が震えていた。
 その声にいつもの力強さはなかった。
 しかし忍は、見て見ぬふりをした。

 その代わり、手を思いっきり握る。ここにいるよと、言わんばかりに。

 大きな掌だと言うのに、握り返す力は弱々しい。
 もらい泣きしてしまいそうな己を叱咤し、忍はぐっと涙を堪えた。


 なぁ宮城。

 その涙は・・・その涙はさ、
 今まで堪えてきた我慢へのご褒美、だと思う。
 だからいっぱい、いっぱい泣けよ。
 我慢してきた分、幸せになろう。


「離さない」


 もう二度と、アンタをひとりになんかしないと誓うよ。


 視界の端に見えた宮城の横顔は、
 涙に濡れていたけれど、
 少しだけ、
 柔らかく、
 笑っているような気がした。