約束の時間まで、まだ少しある。

 待ち合わせのガードレールに腰を落ち着かせると、鞄から本を取り
出し、時間を潰す。
 イメージトレーニングでは、食べやすいキャベツをカットし、皮を
取ったトマトと一緒に鍋へいれたところまでだった。
 大学の帰り道ということもあり、何人もの学生がそこを通り過ぎていった。
 中には、忍の整った顔立ちに通り過ぎる際見つめる女学生もいたが、
忍は気にも留めず、本を読み耽った。
 脳内で仕上げの段階まで料理が進んでいると、ポケットのケータイが鳴る。
 期待に胸を膨らませ発信者の名前を見るも、そこには『父』の文字。


「なに?」


 舌打ちにしたい気持ちを抑えられたものの、期待という高いところ
からの気持ちの降下で、声はいつも以上に冷たいものになってしまう。
 相手もそれに気付いてか、少し身じろいだように『父親に向かって
何はないだろう』と返してきた。
 一方的な考えなのは分かっている。だがタイミングがあまりにも悪かった。


『元気なのか?全然こっちに顔も出さないで』
「便りがないのは元気な証拠、だろ」
『だからって・・・もう一ヶ月だぞ。ちゃんと食べてるのか?』

 
 心配性な父に呆れていると、見覚えのある車が忍の前で止まった。
 声を出しそうな運転席の人物に、忍は空いている手でケータイを指
差し、電話中を示す。
 ドアを開け、助手席に着く。
 片手でシートベルトを斜掛けにするも、固定する装置になかなか入らない。
 あぐねいていると、恋人の大きな手が装置を手伝ってくれる。


「・・・まだ一ヶ月、だろ。ちゃんと食べてるし」


 悪いと片手を立てて謝ると、何故か頭を撫でられた。
 恥ずかしくて窓の外を向くと、エンジン音と共に風景が動き始めた。


「心配し過ぎ」
『宮城君にも迷惑をかけてるんじゃないだろうな?』
「うっさいな・・・っ」

 こっちだって、かけたくてかけているわけではない、決して。
 ただ、宮城と一緒にいると落ち着かないのだ。
 一緒に居れて嬉しいとか、キスが未だに恥ずかしいとか、ふと見せる真剣な横
顔にドキリとするとか。
 溢れる気持ちに、体がついていかず、気付けば宮城を困らせている。
 幼い性格であることは、忍本人が一番分かっていた。
 しかしそれを許して甘やかしてくる宮城にも、無性に腹が立つのだ。
 迷惑なら迷惑と言ってくれてかまわないのに。
 忍にとって一番つらいのは、未熟な心を大人らしく許されてしまうことだ。


『今度、宮城君も呼んで食事会をしようと思ってるんだ。
 忍、宮城君の予定を訊いておいてもらえないか?』
「は?なんでそこで宮城の名前が出るんだよ」
『何を言っているんだ、お前の面倒を、みてもらってるだろう』


  運転しつつケータイの相手が気になっていた宮城は、自分の名を呼ばれびっくりする。
 だが会話の内容も考慮すると、電話の相手にだいたいの検討がついた。
 驚いたのは忍とて同じ。
 何故宮城の名前が出てきたのか不思議に思っていた。
 ・・・嫌な予感がする。
 ただ外れることを祈りながら、父親の話に耳を傾ける。
 だが無情にも、父親の言葉に己の耳を疑う結果となった。


『実は今度見合いの話を勧めてみようと思ってるんだ』
「はァ?!」


 話の進展についていけず、忍は思いっきり叫んだ。
 横ではますます驚いた宮城が、「だ・・・大丈夫か?」と訊ねてくるが、
話の内容が内容なので、詳しいことは言えない。
 ケータイの受音部分を押さえ、「悪い、親父の話にちょっと驚いただけだから」と
忍は無難な答えを返した。


「どういうこと?」


 いたって真剣な父親の口調に、相手の顔が見えない電話だと言うのに緊張感が増した。
 なんでも、先日学会の食事会で再会した旧友に忍の話になり、息子の面倒をよく
見てくれる宮城の人柄の話になったそうだ。
 宮城の優秀さと寛大な性格を聞いた父の旧友は、まだ見ぬ宮城を大変気に入った
様子だったという。
 ・・・かなり迷惑な話だ。
 そしてあろうことか、彼が独身だと話すと、「うちの娘を是非紹介したい」とい
う話になったそうだ。
 彼女もまた、日本文学を専攻して大学院を卒業し、現在は高校で古文を教えていた。
 宮城よりもかなり年下だが、なかなか美人で気の利く素敵な女性だと、忍の父は
褒めちぎっていた。
 見合いの話は着々と進んでおり、彼女も宮城の高学歴を聞き、「是非お話したい」
と言っていたそうだ。
 宮城がいる前で、宮城の名前を使うのを憚り、忍はあえて名前を出さず、「それ、
本人は知ってんの?」と遠まわしに言う。


『まだだ。その食事会で話そうと思ってる』
「じゃこっちが勝手に動いてるだけだろ?
 それって・・・・・・・・本人の意見無視してると思うんだけど」


 自分の恋人をみすみすお見合いに行かせるほど、忍は馬鹿ではない。
 ようやく両想いになったというのに、父親に裂かれてはたまらない。

 忍の批難を含めた言い方に、父は静かな声で諭す。
 まるで、大人の意見を言わしてもらえばと上から目線だった。


『よく聞きなさい忍。
 宮城君はもう、お前の義理兄さんじゃないんだ。
 お前は少し宮城君に甘え過ぎだ。
 私が宮城君の幸せを語ることも出来ないが、お前だって彼の幸せを語るこ
とも出来ないんだぞ』


 宮城の幸せ・・・。
 そんなこと、いつも考えている。

 
『お前もいい加減、大人になったらどうだ、我侭ばっかり言って。
 少しは、彼の幸せを考えて行動すべきだろう』


 それも分かってる・・・そんなこと。
 自分の行き過ぎた行動は、他人から見れば我侭なことだってことも。
 だが初めてのことばかりに、気持ちが収まらず、いつも戸惑う。
 それでも、宮城にもっと好きになってもらいたくて、自分なりに努力して
きたつもりだった。
 それなのに、父親の言葉はどこまでも冷たいものだった。 


『宮城君だって、そろそろ身を固めて良い歳だし。
 お前がいたら、やりたいことも出来ないんじゃないのか?』


 頭を大きくぶつけた時のような、鈍く、ずっしりとした衝撃を受けた。
 胸が締めつけられるような痛みに、呼吸を忘れる。


 自分は、宮城のとって幸せとは程遠い存在に思えた。
 自由を奪う者、邪魔者、ガキ。
 自分に関するワードはどれも、彼にとって重荷以外のなにものでもなかった。
 価値のないもの、かもしれない。
 
 けれど、

 俺はそれでも・・・宮城の傍に―――――――――。


『子供のお前には、まだ分からないことかもしれんがな』


 どうあがいても、十七歳の年月は埋められない。
 歳も性格も、明らかに自分は子供で宮城は大人だった。
 どんなに近付こうと努力しようと、この結論は変わらないということだ。

 それ以上、忍は反論することが出来なかった。


  






「どうした・・・?」
「え」

 
 キスの後に囁かれた言葉に、思わず聞き返した。


「何が?」
「隠すな、なんかあったんだろ?」


 頭がぼぅとして、思わぬ宮城の優しさに、忍は思わず胸のわだかまりを
言ってしまいそうになった。
 黙ってはいけないと即座に「別に」と言うも、宮城は納得しなかった。


「さっきのあれ、なんの電話だったんだ?」
「別に・・・親子の語らい」
「・・・随分荒々しい語らいだな」


 宮城は全て見抜いていた。
 電話の相手や忍の様子があの電話以来変わってしまったことも。
 そしてそれが、自分が関わっていることも。
 

「言えよ」
「本当に・・・何でもない・・・」


 強がりな性格が、大人しくなる時はあとで必ずまずいことになる。
 彼と付き合って、知りえた経緯である。
 こういう時の彼は、強気な時より性質が悪い。
 何が何でも言って欲しいものだが、頑固な口がはいそうですかと素直に
なってくれるはずもない。


「忍、お前、もう少し・・・俺に甘えろよ」
「こんな時に・・・なに・・っ」
「こんな時だから言うんだよ」
「甘えてる、つもりだけど・・・」


 現にこうやって、抱かれている。
 委ねる男一人分の体重は軽いはずもないのに、やすやすとその腕は抱いてくれる。
 ガラス細工を扱うようにやんわりと抱かれた逞しい腕の中、白く浮き上がる細い体は
まるで人形のようだった。
 見上げてくる瞳が細まる。
 なんだよ、その顔。
 

「そうじゃなくて・・・もっと話せって言ってんだ」


 輪郭をなぞる指の心地良さに、心がほぐれる。
 重なる唇が温かく、入り込んでくる舌に口内が溶けてしまいそうだ。


「んぁ!」


 こうやって愛されるだけでは物足りない。
 同等に、なりたい。
 想いの量や冷静さも同じくらいで。
 宮城の負担が少しでも減って欲しい。


 そうすれば、
 彼はもう少し自分を傍においても良いと思ってくれるかもしれない。


 髪をかき上げられ、下から突き上げてくる衝撃に声が漏れる。
 太い首に腕を絡ませ、重なり合うリズムに合わせて、腰を上下に擦りつける。
 切り裂かれる痛みの中に、じわりと広がる温かな快感。
 忍の目元から涙の花弁が散る。 


「あッあッあッ・・・だ・・・め・・・っ」


 甘くて、せつない胸の痛み。
 このひとが好きでたまらない。

 
「触るぞ」


 出口を探し集まり膨らんだそこを宮城の手がやんわりと包む。


「ん!!」 

 触れられただけで気が飛びそうになるのを、必死に繋ぎ止める。
 それだけでは飽き足らず、宮城の指がそこをすくように強く振ると、
高みへ追い詰められる。
 宮城の楔に一番感じる場所を何度も突き上げられ、忍の口から無意
味で甘い声が漏れる。
 快感に視界も意識もぼやける。


「んあ・・・っ宮城ぃ・・・!」
「ここに、いる」
「んっんぁっ好き・・・っ」


 汗で髪の張り付いた額への優しいキスは一転して、呼吸を奪い合う
ような貪るキスに変わる。
 毀れる熱い吐息が、肩にかかるくすぐったたさえどうしようもなく、
感じてしまった。
 

「忍」


 欲情に満ちた低音の声。


「あ!ぁっくっ・・・ん・・・っ」


 耳元に注ぎ込まれるように愛しい人に囁かれた忍は、限界点を超え果てた。
 それと同時に、体の最も奥を抉じ開けられていたものから、熱いものが溢
れていった。
 全てを奪い取るように、宮城の指が何度も忍自身をすいていった。
 快感の波が打ち上げては引き、打ち上げては引いていく。
 ゆらゆらと残された意識の中、自分の体に残ったもうひとりの宮城の存在に、
体を重ねている喜びを感じた。

 誰かが起こした『波』に攫わぬよう、
 何を言われようとも離れ離れにならぬよう、
 忍は最後の力を振り絞り、しっかりと宮城に抱きついた。


 死んでもこのひとを離しはしない。


「忍・・・俺はお前が、必要なんだよ」

 
 あぁ・・・情けねぇ・・・。


 宮城の大きな優しさが、忍の体も心を満たしていく。
 そして分かってしまった。
 自分がまた彼に甘やかされたことに、忍は胸を痛める。


 いつかきっと、しがみつかずとも波に攫われぬ強いひとになりたい。