渡された合い鍵を使い、自分と家とほぼ同じの間取りに新鮮さを覚える。
 なぜだか少し緊張する。
 宮城はネクタイを緩めながら、玄関に上がった。
 情けないことに、お邪魔しますと言う声が少し震えていた。
 良い年を中年男にしてがかなり格好悪い。
  リビングからの灯りは眩しく、導かれるように光の方へ向かう。

「忍?」
「・・・・・・・」

  そこにいるであろう、家主の名を呼ぶ。
 返事はなかったが、リビングにはきちんと人影があった。そこには、忙しなく
パソコンのキーボードを叩く恋人の背があった。
  なんだ、いるじゃないか。
  宮城はもう一度名前を呼ぶが、挨拶どころ反応すら示さない。
 未だに、宮城の存在に気付いていない様子だ。
  それだけ、忍の集中力が高いということだろうか。
 一度本を読むと、周りが見えないことはしょちゅうな宮城には、身に覚えの
あることだった。
 しかし・・・・何故か、釈然としない。

  いつもなら、宮城が何もしなくとも、五月蠅いぐらいに辺りをうろつくくせに、
今は名を呼んでも振り向きもしないなんて。


 この虚しさは、なんなのであろう。


「し、の、ぶ、ちゃーん」


  気が付けばわざとらしく、宮城は恋人の細い首に抱きついていた。


「宮城?!」


  やっと返ってきた反応に、宮城はほっとする。
  そして無視された仕返しに、ふっと軽く耳に息を吹きかけてやる。
  びくんっと肩が上下し、「んぁっ」と言う甘い声という予想通りの反応に、
宮城はにんまりとした。


「感じた?」
「!!
 エロオヤジ!何考えてんだよッ」


  図星だった忍は、張り付いた宮城の顔を無理矢理引き剥がす。


「声掛けたが、返事なかったから悪いとは思ったが勝手に上がったぞ」
「あ、悪い。全然気付かなかった」


 宮城は少しむっとしたが、腹を立たせるほどではないと、自分を抑えた。


「それより飯、食った?食ってないなら作るけど」
「あ、ありがと。でも良い、これ終わらせたいし」
「夕飯って・・・」


  忍がつまんで見せたのは、黄色いパッケージの栄養補助食品。
 コンビニでよく見かけるそのパッケージの製品は、昔一度宮城も口にしたこ
とがあった。
 だが、二度目を口にすることはなかった。
 宮城はどうもあの科学的で疑似的な味と、独特のぱさぱさした感触がどうも
好きにはなれなかったのだ。
 何より、美味くない。
 決してグルメなわけではないが、どうせ口にするなら、美味いものがいいに
決まってる。


「夕食とはな、『夕』時の『飯』と書くんだ。米食え米!
 だからあんなに、お前の体は薄いんだよ」
「・・・セクハラ・・・」
「は?」
「何でもない。夕飯はマジでいいよ、気にしなくて。
 これさっさと終わらせて、寝るつもりだったし。
 締め切り、明日なんだよ」
「明日?お前にしては珍しいな、締め切りギリギリなんて」
「・・・昨日の夜には・・・終わる予定だったんだけど」
「だったらなんで昨日終わらなか・・・あ・・・」


  宮城の言葉を途中にさせたのは、彼の脳裏を横切ったとある映像。

  昨夜のことだ。
 学会の発表がひと段落し、『今日会えるか?』とメールしたところ即座に
『平気』という返事が返ってきた。
 それは時間短縮のため、短めに書かれた文面だった。
 恋人のそんな行動が、可愛らしく、とてもくすぐったかった。

 初めは夕食だけのつもりだったが、隣の家ということもあり、長い間忍の
隣を独り占めしていたかった。
 そしてそのまま、翌日まで彼を離さなかった。


「あ・・・あはは・・・っ」


『だめ・・・ッ
 あっ・・・・・・宮城・・・っ』


 流れ始めた映像は、宮城の頭の中で再生され続けた。
 思わず赤面する。


「・・・すまん」
「謝んな!
 思い出すな!ハズいだろ!!」


  昨夜の甲高い声が甘く響く中で、眼前の恋人の怒鳴り声が聞こえた。
  レポートが完成しなかったのは、明らかに自分ががっついたせいだ。
 だったら尚更、自分が夕飯ぐらい作るべきではないだろうか。
 宮城は「しかしだな俺としては」と話を続けようとしたが、


「良いって。これもう食い終わるしっ」


  忍は棒状の健康食品をくわえると、再びパソコンに向きなおる。
 背中には「邪魔すんなよ」と言う文字が見えた。
  だが宮城は諦めず、少し呆れた様子で、忍の咥えていたブロック状
の食品を取り上げる。


「何すんだ・・・んっ?!」


  顎を捕まえ忍の咥内を探ると、フルーツの香りと不自然な甘さが、
宮城の口に移っていく。

  不本意なキスをされ、どんどん!と容赦なく宮城の胸板を叩く。
  息苦しさに唇の合間から、どちらともなく吐息が漏れる。
  忍のさらさらの髪に指を滑らせれば、気持ち良さそうな掠れた声が聞こえた。


「・・・ん・・・ぁっ」


  理性が擦り切れる。


  行為に溺れて、理性ごと持っていかれそうになるのを必死でこらえ、
宮城は唇を解く。
  名残惜しそうに、「宮城」と声にならず呼ぶ唇は、艶やかに濡れていた。
 とろんとした瞳に、続きを求められているような錯覚を陥った。


「あま・・・」


  口の中に広がるはただの甘さだけ。美味いとは到底思えない。


「これは俺の夕飯作り代な」


  『これ』の主語がキスのことか、忍がくわえていたもののことか、
それとも両方だったのか。宮城は忍にそう告げた。


「っつーことで、お前の夕飯とやらは、俺が貰う。
 責任を持って、俺がお前の夕飯を作れば、貸し借りなし。
 それでいいだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・」

 
 むすぅとする忍をに、「返事は?」と宮城は急かせた。
 拗ねたように、顔を背けると、忍は「お願い、します」と答えた。


「んじゃ決定」


 ぱくりと手に持っていた物を、忍の歯型の上から咥える。
 忍は「あ!」と短く叫ぶ。


「な、なんだよ・・・?」
「・・・・っ!!
 もういい!かっ勝手にすればいいだろ!!
 俺、レポートで忙しいから、邪魔すんなよ!!」


 困惑する宮城とは裏腹に、忍は見る見る頬を赤くしていった。


 え。まさかコイツ・・・間接ちゅーとか思ったのか?


 この生き物はどこまで可愛いのだろうか。
 背中越しの見える耳は、未だに赤い。
 視線を感じてか、時折こちらを無言で睨みつける顔もまた赤い。

 口に広がる気だるい甘さ。
 この甘さが、忍の口の中にも同じように広がっているのだと思うと、
恥ずかしさと少しの喜びを感じる、宮城だった。