Simple answer




 ガチャリ・・・と鍵が開く。  宮城に渡された鍵。  もちろん彼が私に、渡したくて渡したものではない。  すべては彼の、私の父である上司の命令で仕方なくやっていること。  冷たい鍵の感触に、未だにあの時取った自分の行動に自信が持てない。  鍵を握り過ぎて痛みすら感じる。  その痛みはまるで、自分を責めているようだった。  ソファに寝転んで見上げた天井。  広がって疎ましい長い髪を耳にかけてみても、世界は何も変わらない。  しかしここは日本、あの頃よりは、彼に近付いたといえるのではないだろうか。  突然の帰国、唐突な告白、元義理の妹との一時的同居・・・宮城に迷惑をかけてしまうのは必至。  それでも、私にとってこれ以上の好機はなかった。  この機を逃しては、今度はいつ宮城に告白できるか分からない。  これはやはり【運命】なのかもしれない。  でも、  もしも、  嫌がれたら?  避けられたら?  迷惑がられたら?  ・・・それでも良い。  この機会を、逃すわけにはいかないと思ったから・・・っ  そんなことを考えていた当時の私は、  早く日本に行きたい一心で、空港を走り抜けたのだった。 「はぁ・・・」  だが現実は、  想像のようにうまくはいかないもので。  それなりの覚悟はあっても。  それでもやはり、宮城の態度が冷たいのは事実。  傷付いては落ち込んでしまうのも、また事実。  だがここで諦めては、あの決心は何だったのだろう。  冷蔵庫から買い置きの水をコップに注ぐ。  もちろん宮城が買ってきたものだが、「家の物は勝手に使って良い」と言われた。  かぽかぽ・・・と、透明な水がガラスのコップに吸い込まれていく。  蛍光灯の光を浴びてテーブルに映る水面は、とても綺麗で、どこか寂しい。  何かが、始まる気がしたんだ。  宮城と姉貴が離婚したと聞いた時、何かが始まる予感がした。  連絡を貰ってすぐ、私は荷造りを始めて。  そこに打算や計画などなく、  気付けばチケットを握り、  キャリーバックを引きずりながら走っていたのだ。  宮城に会える。  今なら堂々と、【ひとりの女】として宮城に・・・っ  そう思った。  けれど現実は――――――  ふと鼻をかすめた匂いに体が反応する。  喜びなのか驚きなのか、心臓がドキリと高鳴る。  しかし香った先、あったのは吸殻の詰まった灰皿のみ。 「・・・馬鹿みたい・・・」  そんな些細なことにまで反応してしまう自分がとても恨めしかった。   「また・・・そんな格好して」  握ったシャツの裾、皺ができて。  爪の間に食い込むほど、強く握った。  悔しくて。  ボタンなんかいらない、あなたになら全てを見せてもいい。  そう思って、何が悪いの?  それでも アンタは信じてくれない。   「ったく。  こんなおっさんを困らせて、何が楽しいんだか」 「困らせたい・・・わけじゃないッ」 「・・・へぇ」  冷ややかな態度に、怒りが高まる。  適わぬ想いに身を任せ、眼前の胸倉を掴み、そのままソファに押し倒してやった。  肩が肘置きにぶつかったのか、宮城の表情が痛みで歪んだ。  ・・・ざまぁみろッ  そう、ざまぁみろよ。  私は・・・謝らない、からっ  胸焦がす、この強い感情は一体なんだろう。 「私、本気だから」    そうだ、本気以外の何物でもない。  誰が好き好んで、自分より十七歳も年上の男を押し倒さなければならない。  誰がバカみたいに、男の前でシャツ一枚の姿にならなければならない。  好きだから。  この想いが伝わって欲しいと、思うから。    答えはシンプル、  それ以外の理由なんて思いつかない。  なのに眼前の男は、 「信じられるかっ」  想いの大きさに困ることなどなく、唇の端で笑うのだ。 「大人をからかって、親にぶつけられない不満を、俺にぶつけてんのか?  じゃなかったら俺を苛めて楽しいとか・・・どっちにしろ、趣味が悪い」  湧き上がる感情に、押し流されそうになる。  人生の中で、ここまで人に馬鹿にされたことがあるだろうか。  しかも、相手は初めて恋しいと思ったひと。    想いが伝わらないことは こんなにも 苦しいことなのか。 「もしかして・・・当て付けか?」  想いが生まれたことさえ 憎しみに変わるほど。 「お前の姉を傷つけた、元夫の俺への」  寂しげで、 「たまには年上のオジサンと遊ぶのも良い・・・とか思ったんだろ」  自分の領域に決して誰も近寄らせない、 「・・・・・・違う」  臆病で、 「じゃ、なんなんだよ?」  皮肉屋で、 「私は・・・」  でも、 「私は・・・宮城が・・・っ」  でも・・・っ  喉の奥まで詰まりきった感情が、一筋の雫となって零れ落ちた。  熱い熱い目には見えない一粒の涙は、宮城の頬に落ちて、流れ星のように過ぎ去っていった。  答えはシンプル、願い事はただひとつ。 「だったら、抱いてよ」  その一言の重さに、宮城はようやく困惑した表情を宿した。 「・・・は?」  その唇は、  何かを紡ごうと開いているのだろうが、聞こえてくるのはただの乾いた吐息だけ。  言葉もない、そんな状態なのかもしれない。 「そしたら私だって、アンタの言うように勘違いしてるのかもはっきりするッ」 「何を言い出すのかと思えば・・・お前は俺を犯罪者にするつもりかっ」 「アンタにはもうこれ以上、迷惑かけないって約束するから!」 「・・・本気・・・なのか?」  頷きは鉛より重く。  決意は岩より固い。 「私は」  どうか、 「アンタが死んだって・・・好き」  分かって。 「宮城が好きだから、抱かれたい・・・っ」  あなたが作った壁を壊してでも、あなたの中に入りたい。 「なんだって・・・そこまで俺にこだわる」 「・・・アンタだからッ」    そう思って、何が悪いの?  関係が面倒だというなら親とは縁を切ってあげる。  シャツが隔たりだというなら全部脱いであげる。  体が邪魔というなら心で交わってあげる。  不安を、必死に押さえ込んだ。   「諦めてあげるから」  あなたは世界一哀しくて、優しい、私の運命のひと。 「私を、抱いてみなさいよッ」  宮城、  私を 受け入れて。