Which?




 思い出すことさえ億劫に感じてしまうほど、  喧嘩の原因はくだらないものだった。  宮城が出て行ってから二十分程経過しただろうか、未だ胸のもやもやは晴れない。  どうして自分達は、  世に存在する恋人達のように、うまくいかないのだろう。 「クソ・・・・!」  ガツン!と蹴り上げたゴミ箱は宙を飛び、棚に当たると紙屑が散乱した。  当たった衝撃で、棚からちゃりんと何かが落ちる。  散乱したゴミを片づけていると、棚から落ちた銀色の物体が光っていた。  それは見覚えのない、鍵だった。  家や金庫に使う鍵とは形が違い、図書館の傘立ての鍵のように平べったい。  そう言えば、宮城の車は車検中で、健康のためにもと最近は自転車で 通勤していると、実物を見せてもらったことがあった。  もしかしたら、その自転車の鍵かもしれな・・・。 「・・・あ!」  目に止まったのは、鍵につけられたストラップ。  煙草を片手にゆらゆらと揺れる、ヒゲをつけたパンダのストラップ。    それは忍からのプレゼントだった。  物に執着心のない宮城のことだ。  合い鍵を失くしているかも分からない。  さり気なくチェックするため、忍はストラップを贈るふりをして、鍵の存在を 確かめようとしたのだ。  だがどんなストラップがいいのか分からず、何軒も店を周り続けるはめになった。  忍自身も、物にあまり執着がなかった。  一度気に入って購入したものを、大事に使い続けるタイプだったからだ。  恋の仕方も、それに似ていた。  恋に落ちて、目で追って、生きる場所を無理に変えた。  だがそれでも、諦める事が出来なかったのだ。  十七年間生きてきた中で、  彼ほど執着したひとはいなかった。  宮城の執着の無さは、忍に似ていて。  買い物は、必要最低限の物しか買わないタイプだった。  しかも忍は、直感で物を買うことが多いため、宮城の趣味は直感では選べない。  何軒回ってもしっくりくるものがなく、途方にくれていると、本屋のブライン ドに目が引かれた。  飾られていたのは【売り上げトップ10】と書かれた本の売れ筋ランキング。  中でも目を引かれたのは、『赤ちゃんパンダと要パパの365日』と書かれ た本だった。  そしてその本の隣には、何をモチーフにしたのか、髭を生やし煙草を持った パンダのストラップと『種類豊富、購入者プレゼント!』と書かれたポップ。  どこか、惹かれるものがあって。  忍は息を切らせながら店内に入っていった。 「・・・なんだよっ  こんなだせぇーのつけて・・・馬鹿みてぇ」 『お前がプレゼント?  なんだなんだ明日は槍か?いやキャベツかな・・・。  ははッ嘘だよ、怒るなって』 「あんなに・・・喜んじゃってさ・・・っ」 『おーおーパンダ!  お前よく俺が隠れパンダ好きだって知ってたな。  うわっなんだこの、やさぐれパンダは?』 「・・・あんなに嫌がってたくせに」 『ありがとう、本もストラップも大事に使うよ』  そう言って、アンタは笑ってくれたんだっけ・・・。 「・・・宮城ッ」  飛び出した扉は、思っていたほど、重くはなかった。  一度も利用したことのないマンションの駐輪場まで、一気に駆け下りる。 「・・・あった!」  見覚えのある黒い自転車を発見し、鍵を差し込む。  カチャンと金属音が響き、ロックが解除された。  時計は宮城が出て行ってから30分も経っていた。急いで自転車に乗るも、ペダルは遠い。 「高っ!」  足の長さの違いやら、体格差やらをひしひしと感じながら、立ち乗りでなんと かペダルに足が届く。  あとは彼の所まで、漕ぎ続けるだけだった。  学生らしき人々を追い越しながら、コートを着た宮城をなんとか発見する。  しかし、このままでは彼が門の奥へと行ってしまうのは目に見えていた。  追いかければいいだけの話だったが、この時を逃したら、次はいつ会えるのかと 不安が忍を掻き立てて。  もやもやとした気持ちは焦りを呼び、いつの間にか、忍はポケットに入っていた ケータイを掴んでいた。  そして校門の側まで迫っていた宮城の肩めがけ、ケータイを投げた。 「いて!」  痛みを訴える声と共に、ガシャン・・・!とコンクリートにケータイが落ちる。  当然、通行人である生徒達も足を止め、きょろきょろとし始めた。  その中に颯爽と現れた、自転車に乗った青年。  周囲のざわめきは、いっそう強まるのは道理だった。  生徒達に注目される中、宮城は声を小さくし忍を叱った。 「なにしてるんだよ!」 「忘れ物・・・届けに、きた・・・!」 「忘れ物?」  はぁはぁ・・・と肩で息をする忍には、周りの通行人など目に入らない様子で。  迂闊な行動は出来ないと慌てる宮城を他所に、実に頼もしい声が、その場の人々を 揺れ動かした。 「本鈴三分前ー」  その警告の主に、人々は震撼し、その場からそそくさと去っていった。 「校門で、いちゃいちゃしないでくださいね」  現れたのは宮城の部下である、上條助教授だった。  文学部内では彼に並ぶスパルタな授業は他にないとの噂が流れるほど、上條は 生徒達から恐れられていた。  以前、上條と彼の恋人をからかった時の仕返しだろうか、その口角はやや上がっていた。 「か・・・上條っいやこれは、」 「君、あんまり派手な行動をするな。  じゃなきゃ、いつか責任問題になるぞ。  教授に迷惑をかけたくないなら、少しは慎みなさい」 「・・・っ」  上條の正論に何も言い返せず、忍は悔しさを噛みしめながらも、上條をキッと睨んだ。    どうもこの二人は相性が合わない。 「じゃ、俺はこれで」 「あっあぁ・・・サンキュー上條」  去って行く上條の背を見送ると、宮城は忍を連れ、人の気配がほとんどない大学教 員専用の駐輪場に連れていく。  とぼとぼと後をついてきた頭を、ぶつけられたケータイで軽く叩いた。  キーホルダーだろうか、ちゃらちゃらと何かが揺れていた。 「俺に当たったから良いものの、誰かに当たったら危ないだろ!」 「・・・ごめん」  しゅっんとうなだれ、深く反省したのは一瞬で、すぐさま「でも!」と跳ね返された。  立ち直りが早いのは良い事だが、開き直るのは問題だ。  そう自分に言い聞かせ、教育者の立場で忍を見つめていた宮城の瞳を、 意思の強い表情が過ぎる。 「会いたくて!」  その瞳の矢に、射ぬかれる。  形ある矢とは異なり、弧を描くことなく真っ直ぐと、射ぬかれたのだ。 「宮城にすぐに謝りたくてっ  でも宮城どんどん先行っちゃって・・・追いつけなかったらどうしようって。  このままギクシャクするのも、  それこそ、わ・・・別れることになったらどうしようって・・・俺・・・ッ」 「はァ?!待て待て!!」  寝耳に水とは、このことだろう。 「なんでそんな話にまでなってんだよッ」 「だって宮城!・・・すげぇ、怒ってたし」 「アレはお前が・・・!」  思考が原因を思い出す途中で止まる。  先が出てこない。  頭を回るのは【あれなんだっけ?】の一言。 「宮城?」 「とっとにかく!  ・・・そんなことぐらいで別れんなら、そもそも付き合ってねぇよ」 「え・・・」  仕事とはいえ、こちらが喧嘩の場から先に出ていってしまった事実は変わらない。  それなりに恋人に苛立ちを覚えていたにもかかわらず、原因を忘れてしまった とは今更言えなくて。  言い訳するのも恥ずかしく、ついつい出てしまった本音に、宮城は気付かない。 「だいたい嫌いになるか、そんなことで。  だからその・・・悪かったと思ってるよ。  俺のが年上なのに大人げなかったと、思ってる」 「・・・年上とか関係ないじゃんっ」 「阿保。それじゃ俺のプライドが・・・ってお前、なに赤くなってんだよ」 「・・・馬鹿」  嬉しいとか、幸せとか、好き過ぎてヤバいとか。  様々な感情が入り交じって膨らんでいくのを感じていた。   駐輪場の線に沿い自転車を止め、鍵を掛けると宮城に差し出す。  ちゃらちゃらと揺れる、パンダのキーホルダー。  自転車を挟み、向こう側に立っていた恋人は、それを受け取ろうと身を乗り出した時、 忍は紺色のネクタイを、思いっきり引っ張ってやった。  自転車のサドルに手をつき、背の高さを補い、キスをした。  刹那のキス、  人目を気にする宮城のために、触れるだけのキスだった。 「・・・・・・じゃ。」  虚をつかれ、驚きを隠せない宮城とは裏腹に、忍は幸せな気分で家に帰っていく そのポケットには、ケータイのストラップが揺れていた。  宮城のつけていたパンダと瓜二つな、コック帽をかぶったエプロン姿のパンダが。  宮城は煙草を吸った。  手の中には、あのやさぐれパンダのストラップ。 「馬鹿はどっちだ、バーカ・・・」  近隣の庭から見える梅の木の枝。膨らみ始めた小さな蕾。  忍と出会った頃と同じ【冬】が終わり、  忍と共に生きていく、【春】が今年も始まろうとしていた。  携帯灰皿に煙草を押し付け、新しく咥えた煙草に火をつけた。  紫煙が寒空に消えていく。  冷たい風が吹いていても、寒いとは感じなかった。  もう少し ここにいよう。 「馬鹿は・・・俺か」  顔の火照りが 冷めるまで。  認めてしまおう。  自分が忍のことを、こんなにも愛しているということを。  ちゃりん・・・と、手の中でパンダが笑った気がした。