いつだって君が、迎えてくれる



 預けていた荷物を受け取り、俺は空港の白い床を歩いていた。  帰国の手続きはすべて終え、あとはタクシーで帰るだけ。  そこでようやく、自分が祖国に帰ってきたんだと実感できた。  10時間以上の拘束から解放され、俺の体からはそれまで溜まっていた疲労が一気に 溢れ出てきていた。  故郷の地を歩いているというだけで、安心感が広がっていく。  だが同時に、腰や肩は鉛のように重い。  学部長に薦められ、イギリスで開催される文学会に俺は参加を決めた。  海外で行われる文学会は様々な国の文学を聞ける上、日本の文学を思う存分 世界に発信できる絶好のチャンス。  滞在期間は一週間で、毎日が矢のように過ぎ去っていった。  特に早かったのは自分の講演の当日。  資料もプロジェクターもすべて万全の状態だったが、思えばたった一日の講演の ために、私用で使える時間をほとんど費やしてしまった。  講演を成功させるためなら睡眠や食事の時間を減らすぐらい、昔はどうだって良かった。  その分、自分が楽しめればそれで良かったからだ。  後悔はない。  だが文学会が終わった今でも、胸の奥は晴れないまま。  忍・・・どうしてるかな。  忙しさに身を任せ、恋人に連絡せねばと思ったのは出張の前夜。  しかも真夜中。  もしかしたら寝ているかもとメールをした。  思えばそれは、三週間ぶりのメールであった。  メールの返事すぐにきた。  いつ帰る?  文面の素っ気なさに少し落ち込む。  俺は一体何を期待していたのだろう。   一週間後。 俺もそれだけ送る。  返事はやはり早かった。  分かった、気をつけて。  久方ぶりの連絡だというのに、なんとも味気ないやりとり。  俺達はその後もずっと、電話どころか、メールの交換すら行われなかった。  パソコンのメール画面を開いては、【高槻忍】と書かれた送り先の名前を探していた。  そして結局、帰国するはっきりした日にちも時間も告げず、俺はひとり帰国した。 いつから俺は・・・こんなに女々しくなってしまったのだろう。 自動ドアが開き、  どこか外国とは異なる日本の懐かしい風を感じた。    イギリスで見た空と同じ空のはずなのに、日本の空の方が青く眩しい気がした。  やはり故郷の土や空気や空が好きだった。     「・・・・・・・・・」 そしてここは、ただの母国ではなく、【アイツがいる国】となっていた。  ケータイの画面とにらめっこをする。  かけるべきか否か。  どうしても、「会いたい」と言えない。  プライドを捨てる、その一歩がどうしても踏み出せなかった。 「・・・やめた」  俺はケータイを静かに閉じた。  その時だった。 「おかえりなさい」  聞き間違えるはずなどない。  この憎たらしいぐらいの澄んだ声は・・・・・・っ 「しの・・・ぶ・・・?」  そこにいたのは紛れもない、この世にひとりしかいない宮城の恋人だった。  忍は教科書がたくさん詰められる大きな斜め掛けのカバンを携えていた。   「おかえり」  唖然として何も言えない俺を見かね、忍がもう一度そう声をかけてきた。 「今日、帰国するって言ってたから」 「あ・・・あぁ。でも、飛行機の時間は?」 「父さんから聞いた」  「貸して」とスーツケースを忍が押し、俺はそこでようやく歩き出すことができた。 「疲れた?なんか変」 「え・・・あぁいや、平気だ」  まったく予想外のことに、驚きが隠せないだけだった。  だって今祈っていた願いが、  こうも易々と叶ってしまったのだから。 「お前・・・大学から直行したのか?」 「そうだけど?  家に帰る暇なかったし。  あっタクシーで帰るだろう?」  タクシー乗り場には最後の一台が停車していた。  それを見つけるなり、急げと忍はスーツケースを押していく。 「待て」  俺はその腰を掴み、こちらへ向かせると勢いのまま抱きしめた。 一瞬だけ見えた、きょとんとした顔がたまらなく可愛いくて。  抱きしめてようやくこれが現実だと知る。 「み、宮城・・・?!  お・・・おい!人が見てるっ離せよ・・・!」 「良いんだ今日ぐらいっ気にしない・・・」 「な!?なんなんだよ・・・それッ」  不満を零しつつも、抵抗せず大人しく腕の中に収まる恋人の頭を撫でながら、 俺は幸せを噛み締めていた。  恥ずかしくても、指を差されてもかまわない。  この日をどれだけ待ちわびていたか。 ここではキスもセックスも出来ないけれど、  手も繋いだり、抱き締めたり、存在を確かめ合うことは出来る。  彼を感じることが出来る。  本当に大切なのはとても単純で、一番難しい。 いつからだろう、  空の色の違いに気付き始めたのは。  この世界はこんなにも色で溢れていることを。  君のいる世界がこんなにも、美しくて懐かしいなんて・・・。   「ただいま・・・」 向き合った顔は真っ赤に染まり、口は曲がっていた。  でも、俺は知っている。 「・・・おかえり」  絡み合った指が解かれていないことを。 「忍、帰ろう」  あんなに重かったスーツケースは軽々と片手で、  もう片方の手は恋人のために。  俺達二人はタクシー乗り場へ向かった。  帰ろう、  君と共に過ごせるあの家へ。  君と・・・一緒に。