アンタの隣で



「お邪魔しま」  部屋に入ったはいいが、灯りが一切燈されず、暗くなった一室に思わず戸惑う。  なんだこりゃ。  カーテンまで閉められ、完全な暗室。まるでモグラになった気分だった。  唯一の灯りがつけられたキッチンから、宮城が出てくる。  その手にはフライ返しと、忍がいつも使っている黒いエプロンが巻かれていた。 体格差の違いからか、同じエプロンのはずなのに、どこか感じが違っていた。  「お、きたか」 「・・・なにこれ」 「見れば分かるだろ?映画鑑賞の準備だ」 「・・・は?」  聞き間違えでなければ、映画鑑賞の『準備』と聞こえたが。 「映画鑑賞に準備なんてあんの?」  DVDを借りてきて、それはレコーダーに挿入する。  それ以外に何の準備がいるのだろう。  だいたい、映画鑑賞とその手に持ったフライ返しやエプロンと、なんの関係が あるのだろうか。  忍の言葉に、心外とでも言いたげに、宮城はキッチンに戻ると炒っていたフラ イパンの火を止めた。見ればコンビニなどでよく売っている即席ポップコーンだった。  アルミホイルの中でぽんぽんっと爆ぜる音が聞こえ、それが指にでも当たったのか、 「熱!」と彼も跳ねる。 「色々いるだろ!  ポップコーンとか、ホットドックと忘れちゃいけない冷えたビール!」 「・・・・・・・・・・」  映画館のような本格的なポップコーンは作れんが、コンビニで売っているもの だって、なかなかの味だ。そしてキンキンに冷えたきったビールさえあれば言う ことなしだ!  熱論する宮城とは裏腹に、忍は「うわ・・・」と冷めた態度。 「それ、映画観んのか飯食うのか、どっちなんだよ」  冷たい答えに諸共せず、宮城はちっちちと指を振る。  正直その動作は流石の忍もうざったく、顔を背けた。 「そういうけどね忍チン?  普通映画館でここまでの贅沢を出来ないからこその、自宅での映画鑑賞だろ?  それにポップコーンは、映画を見ながら食うのが一番だと思わんか?  いや思う!!」 「なんだって良いけどさ、ウィンナー焦げてる」 「ヤベ!!!」  宮城の熱意はどうでも良かったが、煙いのは嫌だったのでとりあえず注意した。  「ほれ、コーラ」  あれほどビールビールと言っていたにもかかわらず、忍用に買ってきたと思える ソフトドリンクの缶はやはり冷え切っていた。  氷のような冷たさに、照りつける太陽の下で火照っていた体に染み渡る。  ほんとに準備良いな・・・。  缶を開けず、額や首に当てていると熱が引いていく。 「あとお前の分のホットドック」 「どーも」  冷えたコーラをテーブルに置き、今度は熱々のホットドック。  暗くてあまり見えないが、焦げたにおいがする。しかしパンの甘い匂いと、 ケチャップとマスタードの交じり合った香りはたまらなく。空腹だったわけ でもないのに、生唾を思いっきり飲み込んでしまった。 「ポップコーンは真ん中置くぞ」  大の大人が二人座っても隙間のあったソファだが、ポップコーンの皿が 置かれたおかげで、完全に空席が消える。  宮城がDVDの操作をしている間に、俺は今にも零れ落ちそうなパンに 挟まったウインナーに齧りつく。  弾けた肉汁が唇につくものの、そこで口を離すわけにもいかず、そのま ま咀嚼した。    大きい・・・っ  ウインナーだけでなく、キャベツやレタスの挟まったホットドックは 一口食べるのも一苦労。  どうしても、頬や手に調味料がついてしまう。    あ。  垂れていく感触に腕をみれば、そこにまで肉汁が垂れていて。  テッシュを取ってくるのも面倒で、腕の柔らかい部分ついたそれを、舌で拭う。  ソファが汚れる心配もなくなり、今度は皿を膝の上にきちんと置き、もう一口頬張る。  さくっとした焼けたパンの後に広がる野菜の甘み。頬についたケチャップを 親指で拭い舐める。  ついでに口周りについたものも舌で取っていると、ふと宮城の視線に気付く。  彼は手で口を覆い、何かに心奪われたようにこちらをじっと見つめていた。  ・・・なんだよ、  食べ方汚いとか思ってんじゃねぇだろうな。  ぼぅとこちらを見つめている目を思いっきり睨んでやると、魔法が解けた ように宮城が我に返った。 「あ・・・いや、な、なんでもないんだ。うん」 「?」  宮城は冷房の効いた部屋で手団扇で自らを扇ぐと、余程喉が渇いていたのか、 ビールを一気に飲み干していた。  変な宮城・・・。 「なかなか良かったな」 「まぁまぁ。  CG凄かったけど、中身はちょっと薄かったかも。  ってかやっぱ、映画館で見た方が迫力はあるんじゃねぇ?」  DVDを取り出し、専用のカバンに詰め、宮城は伸びをした。  忍はソファでカチカチになった体をほぐしていた。  結局、二人してトイレにもいかず、映画に夢中だったのだ。 「まぁな。でも俺は人目を気にしながら観るの、嫌なんだよ。  周りの話し声で集中出来なかったり、  トイレ行きたくなっても立つに立てなかったりするだろ。  だからひとり、DVDで見る方が気楽だったりな」  このひとは、自身と人との間に距離を取りたがる人だから。  自分の人生を、まるで映画のように独りで眺めることが好き。  誰もいない独りの世界で、己の人生を干渉せずにただ傍観する。  でも、そんなの悲し過ぎると思う。  他の誰でもない、自分の人生を、何故静かに見守らなければならないのだ。  でもそれはきっと、彼なりの復讐だったのだろう。  愛するひとの灯火が消えていくのを、ただ見つめるしかなかった己自身の運命への。  だから自分が傍にいる【今】は、  少しでも、彼が彼自身を好きになって欲しかった。  けれどなかなか上手くいかないのが現状で。  今だって、俺はただ彼と一緒に映画を見ただけ。  何も変わっちゃいない。  俺はこのひとに、一体何が出来るんだろう。   「何言ってんだよ・・・俺とはちゃんと一緒に見れたじゃん」 「あ・・・ほんとだ」 「ほんとじゃねぇよ」 「そう言えば・・・そうだったな」  そう言いながら、笑う宮城の笑顔が優しくて 「不思議だな、  お前がいても全然苦じゃなかったよ」    なんだかとても、 「あのさ・・・宮城」  感動してしまったんだ 「んー?」 「俺・・・さ」  俺、  ちゃんとアンタの役に立ってる・・・?  少しだけ潤んだ目元をそっと拭いながら、未だに暗い部屋に感謝する。  すると、宮城が隣に座ってきて、一気に緊張が走った。  何か言われるのかと顔が強張るものの、宮城天井を見上げたまま動かない。  今か今かと宮城の言葉を待つも、状況は何も変わらず。  しばらく沈黙が続き、部屋は静まり返っていた。  そして首が動いたかと思うと、かくんっと首がずり落ちる。  何かと思えば、宮城の瞼はすっかり落ちて、眠りについていたのだ。   「え、宮城・・・?」  眼前に手をかざし、上下に振るものの何の反応も返ってこない。  アルコールが効いてしまったのか、寝息と共にビールの匂いがする。  せっかく人が真剣に話をしようと思ったのに、これかよ!  両肩を掴み、起こしてやろうかと思ったが、その安らかな顔を見たら、 何も出来なくなってしまって。  結局、やれやれと寝室から毛布を持ってきてしまった。  本当によく眠っているらしく、起きる気配がない。  額にかかった前髪を、そっと撫でたら、なんだか急に、胸の奥がきゅっと締めつけられて。  変な話だけれど、十歳以上も年上のこの人の顔がとても、子供っぽく思えたんだ。 「宮城の・・・バーカ」  『お前がいても全然苦じゃなかったよ』、  じゃなくて、  そこは恋人なら普通、  『お前と一緒に見れて良かった』って言うんだよ。  広くなった白い額に、彼の眠りを邪魔しない程度に唇を寄せて。  その穏やかな寝顔に、もう一度キスしてしまった。  毛布を肩まで上げてやり、彼の隣にできている空白を自分で埋める。  そしてこの恋はもう誰にも止められないんだと思った。  おやすみなさい。  世界で一番、大好きなひと。