我が聖女学院は中高一貫の全寮制の女学校である。 施設は中高しかないが、附属の学校でもあるので、大学へ進学することも出来る。 「我らはみな等しく、神に愛されこの世に生を受けました」 白百合を背後に、赤ん坊を抱く女性が描かれた小さなペンダントを胸に。 手にはロザリオを握りながら。 この学園の最高責任者であるシスターの話を、生徒一同、みな静かに耳を傾けていた。 生徒だけでなく、全教師も呼ばれるのだから、厳かな教会には大勢の人が集まる。 これが週に一度行われる、大規模な聖女学院なりの朝礼であった。 もちろん教師である俺もその参加者のひとり。 「そして女性は聖母マリア様のようにしなやかで清らかな女性に育って欲しい、 その願いから、私の祖母はこの女学院を創設したそうです」 では先々代がもし、男子をヘラクレスのように雄々しく、力強く育って欲しい と願っていたら、男子校を作ったとでも言うのか・・・。 俺は何度となく繰り返されてきたシスターの言葉に、心の中で茶々をいれた。 ・・・いかんいかん、シスターに当たってどうする。 余裕がないぞ、それとも寝惚けているのだろうか。 それも仕方あるまい。 俺は誰より今日という日を心の底から呪っていて、昨夜は安眠どころか一睡も 出来なかったのだから。 「そして伝統あるこの女学院に、またひとり、天使が舞い降りました」 俺はシスターの言葉に心底呆れた。 天・・・使? 天使だと? 天使は俺の安眠を妨げたり、 心労で胸を痛めつけたりするような極悪非道な存在ではないはずだろう。 「さぁ・・・どうぞこちらへ。怖がらなくても大丈夫ですよ」 ―――だがアイツは悪魔でもない、 「はい」 壇上を歩く足音は、背に翼でもつけているのかと間違えるほど軽やかで。 確かにそれだけなら、天から舞い降りたと勘違いされてもおかしくない。 「高槻忍と申します」 そこへ奴が立った瞬間、朝陽がステンドグラスを通り、天が祝福するが如く、 光のヴェールでその存在は包まれた。 慈愛の微笑を浮かべる天使の真後ろに立ったせいか、像の本体は奴の体で隠れ、 生徒側からは奴の背後に、像の大きな翼しか見えなくなった。 白雪の肌、長い睫、大きなグレイの瞳。 桃色の薄い唇で、折れそうなほど細い首。 礼式に使われる聖女のローブを纏いて降りた、成熟前の美しきひと。 あまりの美しさに、 教会にいた人間すべてが息を飲み、流れていた空気が変化する。 誰もが思う、天使と呼ぶにふさわしい少女がそこにはいる・・・!と。 ―――そう、俺だけが知るアイツの正体は 「至らぬ点もあるかと思いますが、 どうぞ皆様、ご指導のほどよろしくお願いいたします」 ―――゛テロリスト ゛ 俺は宮城庸、高校教師である。 聖女学院は中学から大学まである女学校であるが、俺は高校三年のA組の担 任であり、三学年の日本史と英語を受け持つ教師である。 一学年に三クラスしかないからといって、科目を二つ掛け持ちをしている上、 担任まで任せられ、なかなか充実・・・というより、多忙の日々である。 だからこそ、職員室の一角にあるこの喫煙ルームでの一服は美味く、平穏な 日常を誰よりも愛していた。 幸せを噛み締めることが出来るものは、風呂上りのビールと、この一服。 オヤジ臭いと言われようと、本人はこれが至福の時なのだから仕方ない。 ところが・・・だ。 「宮城!」 そんな安からな日常は 「・・・・・・・・・・」 眼前のコイツに粉々に崩されてしまったのだ。 「・・・先生! 宮城先生と呼べッ呼び捨ては禁止だ!!」 「なんだよっ今誰もいないじゃん」 「馬鹿、ここは公共の喫煙ルームだぞ?! 誰か他の先生がきてもおかしくな」 宮城の言葉に、忍は平然と内鍵を指差す。 ここは密室だとまるで脅されているような気分だ。 朝礼や正式な場でのみ着ることを許された白のローブは今は脱がれ、その 腕に収まっている。 膝下まである長めのスカートが、着主に合わせてひらひらと動く。 見慣れた制服を纏った、見慣れた顔。 しかし違和感は拭えない。 「・・・もう一度だけ訊く」 ここ最近、溜息が絶えない。 「お前、正気か・・・?」 問われ人は眉毛ひとつも動かさず、気合の入った返答を一言。 「俺はいつだって本気だ」 何度訊ねても、忍はこうやって自信満々に答えてくるのだから手に負えない。 「俺はアンタを追って、ここまできた」 悪戯にしては手が込みすぎているし。 「何度だって言う。責任を取って欲しい」 こんな横暴、許されるわけがない。 「だから、責任って・・・っ」 「俺を好きにさせた責任」 気が狂ってるとしか思えない。 「何度も言うが・・・俺はお前の姉の元婚約者で」 「そういうのは関係ないッ」 だってコイツは、 「これは運命なんだ」 男なんだぞ。 高槻忍、十七歳。 数年前婚約していた女性の弟で、義理の弟になるはずだった少年だ。 ところが婚約者は浮気をしていたことが発覚。彼女の両親が謝罪にきて、 この話はなかったことになった。 元々宮城が世話になった恩人であり、彼女の父親である高槻の紹介であったため、 高槻自身は立場がなく辛い立場であった。 そんな中、忍と出会ったのは婚約が破談になる前、親族の顔を合わせの時以来だった。 彼は顔合わせの直後、オーストラリアに留学したと聞いたのは、しばら く後のことだった。 それがどうだ。 二年ぶりの再会を喜ぶ暇もなく、俺は彼に呼び出され、突然告白されたのが三日前。 喫茶店で、俺は唖然とした。 そして喫煙ルームで交わされた会話同様の言い争いを、したのだった。 「運命って・・・なんなんだよ・・・ッ」 忍は教室に向かい、俺は職員室で全教師に配布された高槻忍に関する資 料を見ながら、爪を立て頭を掻いていた。 名前の欄の横、性別欄には当然のように女の方に丸がついている。 今日何度目か分からない溜息が漏れた。 「先生、最近独り言多いですよ。 あと煙草の本数も増えましたね、いい加減にしないと死にますよ」 隣から話かけてきたのは現代国語と古文を受け持つ、上條弘樹だった。 彼もまた、宮城同様、三年のB組を受け持つ教師である。 髪の色によく似合う色の眼鏡をかけ、プリントを眺めており、こちらを 見向きもしない。だが先程の言葉から、宮城を憂いているのは明らかだった。 上條は確かに素直ではないが、心が氷のように冷たいわけでは決してなかった。 「かぁみじょぉー」 「うわ!?」 そういう時はこうやって、腕を絡めてからかうのが一番である。 「じゃれないでください!!」 こういう時は、拒む彼の手が顎を直撃し、宮城が離れるのがパターンとなっていた。 「ちぇ・・・照れるなよ」 「誰がですがッ照れてませんから!!」 コイツはコイツなりに心配・・・してくれてんだな。 「なぁ・・・上條」 「・・・何か?」 「サンキュー」 「それは・・・どーも。」 素っ気無い礼だが、今のは彼なりの照れ隠し。 きっと、感謝の気持ちは彼に届いたことだろう。 時間は待ってはくれず、無情にも予鈴のチャイムが鳴る。 さてと・・・行きますか。 ビニール製のペン入れと出席簿と必要なプリントを抱え、宮城は【彼】のいる 三年A組の教室へと向かうため、職員室を後にするのだった。