野分の着替えを、届けに行ったんだ。 アイツいつも忙しくて、たまには気を利かせて着替えを届けてやろうかと思って。 病院の受付で、訳を話すと、すんなり入れてくれて、迷わずに小児科へ向かえた。 そこで見たのは、病院とは思えぬほど、賑やかで明るい空間。 数人の子供達の相手をする看護師の姿もあったけれど、中でも彼らに人気だった のは黒髪で、背の高い青年だった。 野分せんせぇーと呼びまくるパジャマ姿の子供、 はいはいと顔を綻ばせる、嬉しそうなアイツの横顔。 ここは、彼が夢見た医療の現場で。 彼の居場所だった。 彼の笑顔が、彼の想いのすべてを物語っていた。 アイツの笑顔は、誰より・・・嬉しいはずなのに。 その日の俺は どうかしていたんだ。 「初恋の相手は・・・凄ぉーく分かりやすい奴でしたっ」 寝不足と、怒鳴り過ぎで疲労が溜まっていて。 その上喉が渇いたからと摂取し過ぎたアルコールが、気分も口も軽くした。 大っぴらに言うのはまだ恥ずかしくて、腕の中でごにょごにょと話して。 頭の片隅で、もうひとりの俺が「なに言ってんだか」と自虐的な笑みを浮かべた。 「好きな奴には優しいし、 好きじゃない奴には鬼のように冷たいッ」 「へぇ〜」 そんな上條の様子を、まるで猫を見守るような眼差しで宮城は うんうんと、大人しく聞いていた。 生のジョッキは汗をかき流れていく雫を、指先でなぞった。 その様子はどこか妖艶で、項まで染まった白い肌はとても綺麗だと宮城は思った。 彼には不思議な魅力がある。 自然に薫る色香や、指の動きに。 それはあくまで彼の『自然』だったから、余計に性質が悪い。 ったく。無自覚ってやつが一番困る。 一体、こいつは今まで何人の男の人生を狂わせてきたのか。 そんなことを考えていると、「きーてますかぁ?」などと訊かれてしまった。 「ハイハイ、聞いてますって。 で?」 「で・・・ですね。 でもアイツは・・・違うんです」 「仕方ねぇだろ、彼研修医なんだろう?いい事じゃないか。 だいたい医者の卵が鬼畜だったらとか俺は嫌だね。 鬼畜な医者とか、どこのAVだよッ」 「ふ・・・っ はははははぁ!!腹いてぇ!! 教授はそういうプレイ好きなんですかぁー!」 「・・・お前ちょっと飲みすぎじゃないか?」 酔っ払いの冗談は、どうやら酔っ払いには通じないらしい。 「全然、こんなの、飲んだうちにはいりませんって・・・えーっと、これは三杯目でしたよね?」 「・・・五杯目だ。 鏡見て来い、お前真っ赤だぞ」 そう言えば、顔が少し剥れたように熱くなっているかもしてない。 言動もおかしいと言われてしまったし、そろそろ出た方が良いのかもと、 冷静さが徐々に取り戻してきた。 テーブルを過ぎようとした店員に、宮城は勘定とタクシーと、そしてグラスいっぱいの水を頼んだ。 「水飲んだら帰えるけど、それまでは聞いてやるッ ほら、さっさと話せ」 「あ・・・はい」 なんだか急に恥ずかしくなってきて、口篭っていると、宮城は景気づけにと、 ビールの残りを全部俺に飲ませた。 再び熱くなっていく体に、いてもたってもいられず、俺は開口した。 「・・・俺だって、分かってるんです!」 「なにを?」 「みんなに優しくできなきゃ、医者じゃないって・・・」 「あぁ」 「でも・・・平等の優しさなんて・・・在りえるんでしょうか」 宮城はふと、今日の昼休みのことを思い出した。 昼食を取り終え、研究室のドアを開けると、上條が誰かとケータイで会話していた。 盗み聞きするつもりはなかったが、上條の机の上に、次の講義で使うものがあったた め、結果的に話の一部を聞いてしまった。 冷静を装う横顔、唇は「大丈夫だ」と言葉を紡ぐのに、瞳の奥で悲しそうに何かが揺れて。 ケータイを切ったも、名残惜しそうなその瞳は憂いを帯びていた。 その後吐かれた大きな溜息が、何より彼の心を表していたのではないだろうか。 「『みんなに優しい人は誰にも優しくない』・・・って、誰かが言ってました」 もし、我侭が許されるなら 「そうだな・・・」 他の誰より、自分だけを大切にして欲しい。 「気持ち、分からなくも・・・ないさ」 それはきっと、誰にでもある我侭だから、仕方ない。 「分かってるんです・・・っ それがアイツなんだって・・・そんなアイツだから、俺は・・・ッ」 「あぁ・・・」 酒の熱で焼け焦げ、緩み始めた涙腺を誤魔化すように俯く。 幸い、宮城は煙草をふかし、こちらを見ていなかった。 気付いて欲しくなくて、何気なく指先で一粒掬って、床に落とした。 「困った・・・な」 けれど優しい手の感触と同じくらい優しい声色が耳で木霊した瞬間、 プライドとか、意地とか言う名の堤防は、見事に崩れて、 「でも、一人のひとを愛せない奴は、誰かに優しくなんて、できないさ」 溢れていく涙の行方すら考えられず、 ただぼろぼろと、流し続けるのだった。 会いたいと思うのは あなたひとり。