「宮城、コピー終わった。ついでに綴じたけど問題ないよな?」 「ああサンキュー!!助かるッ」 胸元まで積みあがったプリントの山を受け取りながら、テーブルに置いてあった本を顎で指す。 何も言わずとも、忍はそれらを本棚に戻した。 「悪い、これも」 プリントが終わり、まだ温かい講義用の資料を渡そうとしたが、宮城の手より早く、忍がそれを 纏め、コピー機に向かっていた。 どうやら宮城が言うより先に、自分が何をすべきか分かっていたようだ。 頭の回転が早い奴とは、まさに彼のことを言う。 「何部?」 「三十・・・いや、四十くれ」 「分かった」 頼んだぞぉーと軽く礼をし、いつの間に忍が換えてくれた灰皿に灰を落とす。 唇から出た紫煙が天井に吸い込まれていくのを見つめながら、恋人の働きの良さに、 今頃になって感動を覚えた。 急な頼みにもかかわらず、眼前の恋人は、二つ返事で頼みを聞いてくれたのだ。 それは三日前である。 部下兼助手である上條が学会に出席すると聞いた時は、どうなることかと嫌な 汗をかいたもんだ。 例の如く、仕事は溜まっていた。 いや、正確にはいつも通りのペース、いつも通りの仕事量であったなら、 なんとか間に合うはずだった。 しかし、あの鬼の上條はとんでもない置き土産を置いてきやがったのだ。 『教授が学会で留守されている時、俺手伝っていますよね? では、逆も、もちろんありですよね?』 真顔そのもので、彼はそう言い放ったのだ。 手を合わせるわけでも、にこりと笑むわけでもなく、さも当然と言わんばかりに。 むしろやや怒り気味な口調に・・・俺は頷く他選択肢はなかった。 まぁ彼にそうまで言わせてしまったのは自分に原因があったし、 たまには上司らしく「任かしとけ!」と胸を張ってしまったわけだが・・・ まかされたのは完全にこっちだった。 正直、俺は上條弘樹という男を過小評価していたのかもしれない。 実力もさることながら、その管理能力と事務処理能力はかなり優秀らしく、 「じゃこれ三日分です、お願いします」と渡された量は三日という日付では到底終 わることのない量。 そして最後に締め切り日が書かれたスケジュール表と、プリント。おそらく宮城 の正確を見越して、締め切りを忘れたりしないようにするためだろう。 准教授といっても、その仕事はやはり教師。学生のサポートや休講時の課題提示、 他学科との会議、情報交換などなど・・・。 渡されたスケジュール表によれば、それらすべてを三日でこなされていた。 しかしこれはあくまで、『上條のスケジュールであったならば』・・・だ。 上條弘樹准教授さま、 俺はお前みたいな優秀な部下を持って・・・素直に喜べないのだが。 渡された表の中には、事務処理も多く、これらは事務管理の係りに任せても良い 類のものも多かった。 しかし、そこは彼の性格なのだろう。几帳面、A型体質、完璧主義者。彼を表す 単語は数多い。 なんでもかんでも、自分でこなさなくては落ち着かないのだろう。故に仕事も多い。 もしかしたら、マイペースな宮城の仕事のやり方に、彼は日頃やきもきしている かもしれない。 そう思うと、やはり今回は彼の仕事を少しだけ手伝っても良いかなという気持ち になるのだった。 が、 それはそれ。 これはこれ。 現実は問題が山積みで、宮城一人の仕事ではどうにもならなかった。 仕方ないと、院生か暇な学生あたりに声を掛けようかと考えていた矢先、一番最 初に目に入ってきたのは同じ部屋にいた忍だった。 そう言えば、彼も大学生だし、コピーや電話の受け答えくらいなら出来るかもし れない。早速声を掛けたところ、忍は「いいよ。暇だし」と即答だった。 「忍チンがきてくれるなら百万力だな」と口先だけで、あまり期待はせずにいた。 料理や家事を見る限り、彼が不器用なことは百も承知で。 無理を言っているのはこっちの方だし、失敗しても大目に見てやらねばと、思っていた。 「飯、なんか買ってくる?」 ところがどうだ。 蓋を開ければ、大目に見てやるどころではない。 「お、頼む!蕎麦と缶コーヒー」 「ん。いつものブラックだよな。行ってくる」 「あぁ頼んだ」 出て行こうとする肩を引きとめ、相手が大学生ということも忘れ、 『良いこ良いこ』をしてやった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「忍チン。 オジサン、今凄く感動してるっ」 「・・・マジ、うぜぇんだけどッ」 どんな悪態をつかれも、言葉遣いが汚くとも良い。 忍は最高の助手で、働き者という事実には変わりない。 頭を撫でたついでに調子に乗って抱きしめたら、 顎を下から思いっきり突き上げられた。 「退けッ・・・邪魔!」 予想外の行動に、思わず舌を噛みそうになった。 乱暴な対応とは裏腹に、その耳は赤く染まっていて。 痛い思いをしても、つい、可愛いと思ってしまうのだった。 昼食がてら、お茶を淹れ、恋人の帰りを待っていると、ドアがノックされた。 入室の許可を呼びかけると、控えめにドアが開く。一連の動作から考えて、 待ち人ではないだろうと宮城は予想がついていた。 開いたドアの向こう、二人の女子大生が部屋の中へ入ってきた。 「失礼しまーす」 「まーす」 「こんにちはー。 君達は・・・確か二年だったよね、なに?」 「はい、実は先週、先生の講義休んでしまって・・・よろしければプリントを いただきたいんですが」 「んー・・・どれだ。先週の?何曜日の何限?」 「水曜の三限です!」 茶を啜りながら、「先週先週・・・」とテーブルに置かれたプリントの山の中を探す。 プリントの上の方に書かれた曜日を確認しながら探すも、なかなか見つからない。 『山』が違うのだろうか・・・と、部屋を回していると、今度はノックもなく、ドアが開いた。 「・・・・・・」 そこにいた客人に驚いたのだろう、忍は思考が途切れたように、ドアノブを持ったまま 立ち止まっていた。。 入り口を塞いでいた女子大生二人は、忍に道を空けながら、彼の横顔をじっと見つめていた。 心なしか、二人の顔が輝いているように見えた。 なんなんだその態度の違いは・・・。 「・・・高槻くん。 悪いんだけど水曜三限の・・・なんてやつだったかな、和歌と・・・」 自分と忍との関係を彼女達に悟られぬよう、言葉遣いを変え、目配せもする。 やがて忍は溜息をついた後、コンビニ袋をソファの間のテーブルに置くと、プリントの山へ向かう。 「・・・男女の文学ですか? それなら本棚近くのダンボールの上にありましたよ」 ガサガサと音がしたのも束の間、すぐさま「ハイ」と渡されたプリントは、確かに探し ていたものだった。渡された数枚のプリント落とさぬよう、宮城は機械にプリントを置く。 宮城が後ろを向いている隙にと思ったのか、彼女達は見慣れぬ青年をキラキラした瞳で見つめた。 「君何年生?文学部なの??」 「どこのゼミ?サークルとか入ってる??」 「一年生、文学部だけど法科。サークルもゼミも入ってない」 「一年!?年下かー!」 通常、M大の生徒ではない忍は許可書がなければ構内に入ってはいけない規則。もちろ んきちんと申請し許可書は得たが、うちの生徒でもない忍を何故呼んだのかと生徒に訊か れるのは面倒だった。 それは忍も同じだったらしく、あえてM大の生徒ではないとは公言しなかった。 彼女達はそんなことに気付くわけもなく、「そうなんだー」と、忍の言葉にいちいち反 応を示していた。 「私テニスサークルなんだ、飲みもあるけど、それだけじゃないし。 今度良かったら遊びに来ない?」 「・・・興味ないから」 「なんかTVとか出てない?なんか見たことあるんだけど!」 「俺・・・一般人」 「えーそうなの?! へぇ〜カッコ可愛い顔してるのにもったいないね」 質問攻めにあい、たじたじになるかと思いきや、慣れた様子で彼女達に受け答えしていく。 もしかしたら、こういうことには慣れているのかもしてない・・・。 そんなことを考えていると、何故かこちらが暗い気持ちになってしまった。 俺だって昔は・・・いや、思い出さないでおこう。うん。もっと暗くなる・・・っ 「ハイハイこれプリントッ 先生これから飯だから。君達も三限始まるぞー」 「あ、本当だ」 巻き毛の方の学生が腕時計を見て、ようやく慌て始めた。 続いてストレートの子「次号館違うじゃん!」といそいそと頭を下げ、部屋を出て行った。 慌しい雰囲気の中、「じゃまたね」と忍に手を振る二人は抜かりないと関心させられてし まった。女の子は本当に元気が良い。 ドアが完全に閉じられたところで、ようやく肩の力が抜ける。 「はぁー・・・」 せっかく淹れた茶も冷めていて。 こちらはこちらで、冷え切った缶コーヒはぬるまったくなっていた。 プシュッと開いた口から、缶とはいえ、しっかりとした豆の濃くある匂いが広がっていく。 一口含んだだけで、疲れが蒸発していくのを感じる。 忍も疲れたと言った感じで、ソファの背凭れに軽く腰を落とした。 「可愛い・・・ねぇ」 「うるせぇ」 彼女達の言葉を借りたつもりだったが、宮城が言った途端、忍は複雑そうな顔をした。 「お、照れてんのか?」 「・・・嬉しくなんかねぇよ」 その横顔は、確かに男の顔で。 「男は可愛いとか言われたり、頭撫でられたりされないだろ・・・」 俺は少し、自分の言葉を後悔した。 「悔しい・・・ッ」 コイツはコイツなりの苦労があるのだろう。 中性的な顔立ちや器用な手先、頭脳明晰で葉に萌ゆる若さもある。 どれもこれも、人から羨まれるモノばかり。 だからといって、彼のすべてが幸福なわけではない。 初恋の相手が自分の姉の婚約者だったり、試験で百点を取ること より肉じゃがを作る方が難しかったり、気にしていることを褒めら れて怒るに怒れなかったり・・・。 俺にこうして 撫でられることも。 「忍・・・」 いつもいつも 言葉足らずで ごめんな。 「ありがとう」 撫でる度に、伝ってる。 「ありがとう・・・忍」 お前が好きだって。 「・・・恥ずいんだけど・・・」 好きだよ。 「可愛い」 耳元で囁いたのはわざと。 「なんだよ急に・・・っ こんな時ばっか・・・そんな顔すんな・・・ッ」 罵られても良い、やっと顔が見れたから。 「こんな時って?」 「だ・・・だから・・・っ」 この鼻も、指も、額も、唇も。 全部が全部、可愛いくてしかたない。 押し倒した愛らしい存在に、そっと影を重ねた。 「忍」 可愛いという字の中に、「愛」って字が入ってるってこと。 「可愛い」 君は知らない。 「ばかみやぎ」 ソファに君が 溺れてる。